春日野会病院 内科/消化器科/外科/整形外科/肛門科/リハビリテーション科

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紅塵荘について

 

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  紅塵荘について

 

  紅塵荘の施設概要

昭和2年に建てられ、空襲と大震災を経て今だその貫禄を失わない神戸の名建築、「美の探究者池長孟の夢の後」。

神戸市立美術館や、南蛮美術館のもととなるコレクションを収集したことで有名な、神戸の資産家・池長孟(いけながはじめ 1891〜1955)。彼がその贅を尽くして「観る」ことを目的に造った美術的洋館です。

平成16年、春日野会病院として生まれ変わりました。

平成21年、ひょうご近代建築100選に選ばれました。

紅塵荘

様 式

スパニッシュミッション式

建築年

1928年

規  模

地上3階、地下1階

面  積

延床面積 214.26坪

工事費

16万円(当時)

設計者

小川安一郎

 


 

 

  紅塵荘の歴史

 

  「紅塵荘」 名称の由来

 

眼下に連なる神戸製鋼所の煙突が吹き出す「紅塵」をみて池長氏が名づけました。

 

  病院になったのは?

 

戦後の昭和28年、池長氏の膨大なコレクションの財産税を払うため、当時病院にできる建物を探していた劉四朗氏に売却。そして平成16年、さらに春日野会病院として生まれ変わりました。

 

  淀川長治のお姉さんとの愛の巣?

 

映画評論家 故淀川長冶氏のお姉さん富子さんは、当時神戸では有名な“モガ”で、池長氏の後妻となりました。「紅塵荘」は2人のための新居であり、彼女の好みも多分に反映されています。

 

 

淀川長治氏の記事→

右の記事をクリックすると大きく表示されます。

 

  ダンスパーティーに集まったのは?

 

作家の谷崎潤一郎、女優の水谷八重子など。

 

  教科書にものっているザビエル像

 

池長氏が屋敷を売って手に入れたことは有名。でも垂水にあった別宅です。

 


 

 

  池長孟について

 

 

 

かつて神戸に池長孟(1891〜1955)という人物がおりました。由緒ある兵庫の町の名家の主人でしたが「つらつら世間を見るに、お金つかいの名人はあまり見当たらぬ」といいながら、その財産をつぎこんで南蛮美術品を蒐集しました。

 彼は「蒐集は、一つの創作であります。」という信念を掲げ「日本で製作された異国趣味美術品」の集大成をめざします。エキゾチックに浮き身をやつした池長は、みずから「南蛮堂」と号しました。

 さらに昭和15年(1940)には「神戸のような国際大都市にして、美術館の一つも持たないということは、国民教養の程度も察せられて大きな国辱である」と考えて、自分で美術館を作り、コレクションを一般に公開しました。育英商業学校の校長でもあった池長は、学校教育よりも社会教育、親爺教育の方が大切だと考えたのです。

 池長美術館は昭和19年まで展示会を続けましたが、戦争のためついに閉鎖。戦後は再開どころか、財産税のためにコレクションも切り売りしなくてはなりませんでした。美術品の散逸を何よりもおそれた池長は、昭和26年、ついに美術館を神戸市に譲ることを決意します。現在の神戸市立博物館にある、かの有名な教科書にもでてくる聖フランシスコ・ザヴィエル像や狩野内膳筆南蛮屏風、泰西王候騎馬図はこのコレクションを受け継いだものです。

 

 

  池長孟写真集

 

 

こちらをクリックで写真集をご覧頂けます。