紅塵荘/春日野会病院旧池長孟邸 紅塵荘

美の探究者池長孟の夢の後

アクセスマップ - 紅塵荘/春日野会病院
施設概要 紅塵荘の歴史 池長孟について 紅塵荘写真集 トップページ
  池長孟について  
 
 かつて神戸に池長孟(1891〜1955)という人物がおりました。由緒ある兵庫の町の名家の主人でしたが「つらつら世間を見るに、お金つかいの名人はあまり見当たらぬ」といいながら、その財産をつぎこんで南蛮美術品を蒐集しました。

 彼は「蒐集は、一つの創作であります。」という信念を掲げ「日本で製作された異国趣味美術品」の集大成をめざします。エキゾチックに浮き身をやつした池長は、みずから「南蛮堂」と号しました。

 さらに昭和15年(1940)には「神戸のような国際大都市にして、美術館の一つも持たないということは、国民教養の程度も察せられて大きな国辱である」と考えて、自分で美術館を作り、コレクションを一般に公開しました。育英商業学校の校長でもあった池長は、学校教育よりも社会教育、親爺教育の方が大切だと考えたのです。

 池長美術館は昭和19年まで展示会を続けましたが、戦争のためついに閉鎖。戦後は再開どころか、財産税のためにコレクションも切り売りしなくてはなりませんでした。美術品の散逸を何よりもおそれた池長は、昭和26年、ついに美術館を神戸市に譲ることを決意します。現在の神戸市立博物館にある、かの有名な教科書にもでてくる聖フランシスコ・ザヴィエル像や狩野内膳筆南蛮屏風、泰西王候騎馬図はこのコレクションを受け継いだものです。

 
 

 
     
Copyright (C) 2005 医療法人 春日野会病院 All rights reserved.
紅塵荘/春日野会病院